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銀の小箱

児童文学・童話作家 かんのゆうこのブログ

大切なもののために手放すということ。

 

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昨日の原稿を4時間くらいかけてさらに細かく直したあと、ようやく編集者さんへ送付しました。昨年の12月から書き始めたルーチカ7巻、やっとひと段落つきました。

 

とはいっても、ここからがある意味全てのはじまりで、これから山のようにやることがあります。でも、「何もないところから何かを生み出す」という意味での創作パートはひとまず終了。

 

上の写真は、今までに手書きで書いたルーチカの原稿第1巻~7巻分の写真です。全部で1000枚くらいはあるんじゃないかな。絵本の原稿は、書き終えると全て捨てていたのですが、童話の原稿は枚数が多くて重労働な分、執着があったのか、なかなか捨てられませんでした。

 

でも、つい最近、思い切ってすべて捨てました。ある日ふと、誰にも見られたくないと思っているものを、いつまでも取っておくのもおかしなものだよな、と思ったんです。(手書き原稿は初稿なので、人様に見せられるようなものではない)それに、原稿を捨てたとしても、私ががんばった経験はけしてなくなりません。

 

もともと数年前に断捨離をして、かなり物を減らした生活をしていました。それ以来、家の中は、モデルルームのようにきれいで整然としています。引き出しの中も押し入れも、ずいぶんと空きがあります。リバウンドは一度もしていません。

 

でも、自分の意識にも段階があって、自分の生き方や意識が変化してくるにしたがって、さらにどんどんとものが手放せるようになっていくんですよね。以前は「とっておこう」と思ったものたちまでも。

 

数年前に断捨離を完璧に終えてからも、そういう波が4~5回やってきました。「さすがにもう捨てる物はないだろう。完璧!」と思っても、また手放したくなる時期がめぐってくるのです。

 

卒業アルバムとか卒業証書などは、もう随分前に捨てました。最難関といわれている思い出の品の数々も、ほとんど手放しました。押し入れに入っている、ふだんは開けない思い出の品の量は、ダンボール箱一つ分しかありません。(それもかなり空きがあります)

 

でも、最近の自分が捨てたものの中でけっこう大きかったものは、習い事で取った資格の免状や講師の看板です。具体的にいうと、表千家茶道の免状(相伝)6つと講師の看板、着付けの師範免状、華道(草月流)の師範免状の全てです。

 

写真は取らずに捨ててしまいましたが、日本の伝統的な習い事のお免状や看板ってとても立派なものなので、(茶道なんかは巻物のような免状がたくさん・・・)写真をのせたら「これを捨てただと!?」という感じの、結構衝撃的な図になってしまったかもしれません(笑

 

こんなものを捨てたと書いたら、怒られたりあきれられたりするかもしれないけれど、今の私にとっては、もう必要のないものだったから手放しました。

 

特に茶道は、中学生の頃から30代後半まで、20年ほど習っていました。茶道も着付けも華道も、すべて師範までとっていました。ゆくゆくは茶道の先生になろうかな、とぼんやり思っていたんです。

 

でも、作家として一生やっていくと決めてから、茶道をやめました。華道と着付けは、茶道に必要だったのでやっていたものだったので、それらは師範免状をとってから、茶道よりも随分前にやめていました。

 

茶道をやめてから、すでに10年以上も経っているのに、お免状と看板はやっぱり捨てられずにいたんですね。

 

でも、よくよく考えて、私にはもう必要のないシンボルだと納得できたので、感謝して手放しました。持っていても、別に不都合はないと思っていたのですが、捨てたらやっぱり気持ちが軽くなりました。

 

あと、最近捨てたものは、フランス語教材、CD,教科書一式すべて。今年の3月くらいに、長年勉強していたフランス語をやめたのです。

 

4年前にルーチカをシリーズとして書き始めた頃から、フランス語と執筆の両立にはずいぶんと苦労をしていました。でも、長年続けていたものだったし、フランス語検定も2級まで取得していたから、もったいなくてなかなかやめられませんでした。

 

去年の秋くらいから、ルーチカ以外にもう一本、新たにシリーズ童話を書きはじめました。するともう、さすがにフランス語の勉強にエネルギーを注げなくなってきてしまいました。

 

普通の人だったら趣味として続けると思うのですが、私はものすごく不器用で、いろんなことを同時にやることができない人間なのです。どれも中途半端になるくらいなら、と、きっぱりとやめました。おかげですいぶんと気持ちにも時間にも余裕ができました。後悔はまったくありませんでした。

 

今の私にとって一番大切なことは、物語を書くこと、そして本を読むこと。プライベートでは家族との時間、大切な友人との時間、自分の健康を維持するための時間。

 

そのことを大切にするために、私に用意されている一日の時間は24時間。そして私のリソース(体力、意志力、脳力、エネルギー)は無限ではなく、有限です。

 

物をたくさん、たくさん手放すと、自分の人生にとって何が本当に大切なのかがくっきりと見えてきます。そして、それを心から大切にしたいと思えるようになるのです。

 

そして、大切なことをきちんと大切にできるようになればなるほど、自分の人生への信頼が深まり、不安や心配がどんどん小さくなって、さらにいろんなもの、ことが、手放せるようになっていく。

 

私たちは、何も物をもたずに生まれてきて、死ぬときも何ひとつ持っていくことはでないけれど、唯一、人生で体験してきたことだけは、いいことであれ、悪いことであれ、胸に抱えて旅立つことになるんですよね。

 

死ぬ間際に、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「こんなこと、しなきゃよかった」などと後悔しながら死んでいくのはいやだな。

 

せっかくなら、自分の人生でできることは全てやりきった、大切なことをちゃんと大切に生きた、と思って旅立ちたい。

 

そして、お世話になった人、やさしくしてもらった人たちへのたくさんの感謝の気持ちと、自分自身もたくさんの人たちにやさしくできたという誇りを胸に、旅だっていきたいものです。(これからの生き方次第)

 

今日書き上げて提出したルーチカ7巻は、「運命」という壮大なテーマで物語を書いていたので、ふとそんなことをつらつらと思ってしまいました。

 

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 バイバイ、原稿たち。

 

 

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カール愛とルーチカ執筆。

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じつはわたし、2,3年前から気づいてました。

カールの異変に。

 

カールといえば、昭和時代にはどこのスーパー、どこのコンビニにも必ず置いてあったスナック菓子です。いつでもどこでも食べたいときに手に入る身近なお菓子だったのです。

 

ところが、ここ二年くらいかなぁ。。気が付いたら特にコンビニでどんどん見かけなくなっていきました。(スーパーにはまだ置いてあるところがあった)

 

カールがおいていないお店に出くわすたびに、昭和生まれのわたしとしては、(カールがおいてない!? なんで??)と、もうまったく意味がわからなかったのですが、昨日、ようやくその理由がわかりました。

 

まさか、東京でカールが食べられなくなる日が来るなんて...( ノД`)…。カールは永遠になくならないものだと思っていた私が甘かった。

 

時々たべたくなるカールくん。昨日もちょうど買って帰り、ぱくぱくたべていた矢先のあのニュース。。カールが東京からなくなる日がくるなんて、昭和がどんどん遠くなりますねぇ・・

 

 

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今日は雨だったので、家で一日お仕事してました。今年に入ってからずっと書いたり直したりし続けているルーチカ第7巻。今日、やっと第5稿が仕上がりました。

 

個人的な予定では、第4稿くらいで提出できるレベルになるかなぁと思っていたのですがそこまでたどり着けず、第5稿までずれ込むことに。

 

あとは、本当に細かい部分の直しだけで、ようやく編集者の方に提出できるかな、というところまでやってきました。絵が入っていない状態で全102ページ、原稿用紙で約100枚。(ちょっと多かったかな)

私ががんばって書き上げた原稿を、尻に敷くみく。(ちょっとうれしそうに見えるのは気のせいか?)

 

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カール・・・( ノД`)…


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ううっ、カール・・゚・( ノД`)・゚・・・

(今日の夕方、ちょうど食べたばかりだった)

 

 

 

 

 

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